私はクルーズ船での旅行を楽しんでいた。
ブラック企業に就職したかと思っていたが、こんな旅行が出来るなら日頃の苦労も報われる。
そう思ったのも束の間、大海原のど真ん中でクルーズ船が岩礁にぶつかり沈没してしまった。
何とか社内のメンバー10人は救命ボートに乗り込む事ができた。
しかもメンバーのほとんどが水と食料を持って乗り込んだ事により余裕もある。
このボートは12名乗りなので、この大量の荷物があっても沈むことはないだろうし、
救護にくるまでの時間分は余裕をもって過ごせそうだ。
しかし私たちには問題がある。
30メートル先で船員が溺れ助けを呼んでいるのだ。
ボートの上で社内会議が行われていた。
この中で、3番目と5番目が船員を救うことを容認する発言だと判断しました。その2つの中で、心情としては3番目の台詞ですが私はそんな綺麗事は言えないので5番目を選びました。船員も死にたくないのですから、恐らくは必死で沈没を回避しようとしたはずです。客を見捨てて逃げようとしたならわかりますが、彼は溺れているため少なくとも彼自身がそうではない可能性は高い(救命ボートが座礁したのかもしれませんが)。というわけで責任を押しつけることはできない。むしろこのクルーズを計画した、あるいは決行した側の責任になるのではないでしょうか。この時点で私の中では我々の命と彼らの命が等価になります。そして目の前で人が死ぬのも見たくない。自分も死にたくはないのですがそのために等価の他者を犠牲にもできない。そのため、釣り合わせのために私は彼を助けたいと思いました。
ブラック企業とのことなのでこの救命ボートに社長とか嫌な上司とかがいたらみんなを誘導して突き落とし、突き落とした事実を隠蔽する方向で行くのですが…社長がこのクルーズへの参加を主導したなら突き落とす確率は上がりますね。これが3番目の台詞を選ばなかった理由です。
重量に余裕があるなら助けにいきますが、水と食糧を犠牲にしなければいけないのなら反対します。三番目を言われたら「もし水と食糧が足りなくなって死んだら、それだって間接的な殺人になる」と反論します。「船の操縦に関与できるのは客より船員になるので、責任の比重としては船員の方が重い」というのが建前です。
余談ですが、ブラック企業の社風を考えると、自分以外の社員を犠牲にして船員を乗せたほうがボートでの生存確率が上がると踏んで救助に行く可能性もあります。そこを加味して5番目のセリフを使うのもアリだと思います。
4番目かな。クルーズ船が座礁した時点で至る所でこういった問題は起きているだろう。。。
目の前で起こっているかどうかで、問題の大きさは変わるかもしれないが、食料問題も相まってそんな”甘いこと”を言える状態ではないと思う。
一瞬の感情論でブラック企業の幹部が入れ替わればいいと思うけど、溺れている船員の人間性も分からない。
であれば、状況把握がしやすい社内メンバーで助かる道を探る。
まず何もせず見殺しにすることが法に触れないかという事を同乗者に確認します。私自身にそれを判断できる知識がないので。法に触れるということであれば助けます。触れなければ見捨てます。誰もそれがわからないのなら助けます。罪に問われるリスクが怖いからです。よって2番か4番になります。