先ずはこちらの テセウスの船 について、
思考の実験をして欲しい。
その自分の実験結果を踏まえた上で、下記内容について
あなたのご意見をお聞かせください。
【テセウスの船 [人体編] 】
もしあなたの右足を義足にした際は恐らく
あなたは「まだ自分は自分自身である」と言えるだろう。
では右腕を、肝臓を、心臓を、脳を、、、
テセウスの船のようにすべての身体のパーツを入れ替えた場合はどうだろう。
船と同じ思考実験結果になるだろうか。
ならない場合は、どこまでなら自分自身を保てるのかをコメントして欲しい。
(コメントの訂正削除は何度でも行えるので気軽に発言してみましょう)
難しいですね。脳みそを半分失ってとか・・・いろいろ考えさせられます。
人間は、常に古い細胞が廃棄され、新しい細胞に置き換わっている。
機能を失った臓器は人工臓器に置き換えたり、臓器移植をしたりする医療技術が進んでいる。どこまで肉体が置き換えられたら、別人になるのだろう。脳が人間のアイデンティーなのだろうか。
私は3つ目の重要なパーツ(脳)を選んだけれど、、、もし、脳の中に保存されている記憶情報を、人工知能に移植をしたらどうなるのだろう。
面白そうではあるけど私は”嫌”な感情が強い。
機械の身体・・というか、データの魂になって
月とかのサーバーの中で生きたい。
人間でいえば、脳が残っていれば、自分と言えるのではないかと思う。
ルパンのマモーとかもそうだったし…
最初は脳が残っていれば、と思ったのですが、いざ身体を動かした時に、感覚が違うなと多少なりとも思う気がする、と思ったので、どこを替えても過去の自分とは何かが違うなとなりそう。
自分というものは、残る/残らないの2つに1つではなくて、もっとスペクトラム状に変化するものだと思う。
昨日の私と今日の私は厳密に言うと同じではない。でも大部分が似ている。
赤ん坊の頃の自分と今の自分は似ても似つかないが、遺伝子や気質、社会的な扱われ方(名前など)は同一と言える。
パーツが同じ機能を担えるかどうかも大きく影響する。安い義足と本物そっくりの足とでは自分自身の変化の度合いも違ってくる。